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ジャワ中部地震被災者支援へのご協力のお願い
 2006年5月27日午前5時54分(現地時間)、マグニチュード6.2の地震がジャワ島中部のジョグジャカルタ市より15km程南の南部海岸近くで発生し、多数の死者(3000人以上)と負傷者が出ています。避難民は20万人に上るとみられ、家屋、病院など建物の被害も深刻であり、今後、中長期的な復興活動が必要になると思われます。
 NINDJAは、これまで現地と培ってきた草の根のネットワークを生かし、屋台、ヤギ、メロン栽培支援をおこなってきました。現在、いただいたカンパの残金を生計自立支援プロジェクトとして活用させていただいている段階です。今後ともご支援いただけると幸いです。

Warung NINDJAからご支援いただけます
投稿者: NINDJA 投稿日時: 2006-6-4 19:26:00 (2062 ヒット)

 NINDJAのメンバーで、スラバヤのオルタ・トレード・インドネシア(ATINA)に勤務している津留歴子が、親会社のオルタ・トレード・ジャパン(ATJ)やATINAとしての支援活動の可能性を調査しに、被災地入りをしました。その報告を送らせていただきます。なおNINDJAは、ATINAもしくはジョグジャカルタ留学中のメンバーである間瀬朋子と協力して、とくにカキリマ(屋台)やジャムゥ(伝統生薬)売りへの支援をできないか、可能性を探っています。詳細が決まり次第、またご報告させていただきます。

■ ジャワ中部地震被害視察報告
 ATINAでは去る5月27日のジャワ中部地震の被害状況、救援活動の様子を実際目でたしかめることを目的に、5月31日、 6月1日の2日にわたり、ジョクジャカルタおよび周辺地域をまわりました。まわったと言っても正味2日の限られた時間、さらに一部交通渋滞の激しい地域もあり、わたしたちが訪れた地域は全体のごくごく一部の限られた地域にすぎません。しかし、わたしたちが訪れた地域の人びとは満足な支援も受けられず、明日は食べていけるかどうかという不安を抱えながらの毎日を送っている人びとでした。
 ATINAでは、工場勤務の女性ババール・エカさんの家が地震の被害を受けたということで、まずはエカさんとともに彼女の実家があるクラテン県バヤット郡ンゲプリガン村を訪れました。彼女の家はほぼ全壊、周辺の家屋も軒並み倒壊していました。外壁は保たれている家も、内部は天井が落ち、壁が崩れめちゃくちゃに壊れている家が多数あります。集落長のデータによると、ンゲプリガン村の被害は、死者1名(生後6カ月の赤ん坊)、重傷50人、全壊家屋351、軽度損壊家屋250ということでした。この村には、10世帯あたり1つのテントがインドネシア赤十字から配給されていました。しかし、このテントの大きさは子ども10人を収容するキャパシティしかありません。食糧配給は郡事務所から地震後1回あったということですが、その量は村人全員が満足に食べられる量ではなかったと言っていました。ここの村の男性はほとんど出稼ぎ労働者で、ジョクジャカルタ市内、セマラン、スラバヤ、ジャカルタといった地域に分散しており、今回の地震で村に戻っている男性もいました。エカさんのお父さんも普段は出稼ぎで自宅には母親と妹、祖父が暮らしています。村の女性の多くはバティックの手染めで生計を立てています。
 死者の数がもっとも多かったバントゥル県を貫く幹線道路沿いは多くのポスコ(救援事務所)があり、援助の車や見学者(?)の車でひどい交通渋滞でした。ここに入り込んだため、この地域からの脱出が難しく、結局4時間以上、交通渋滞にはまってしまいました。しかし、バントゥル県でも幹線道路からはずれた地域の村々では援助が十分に行き届いてない地域もまだかなりあるという印象です。
 わたしたちが訪れたバングン・タパン郡テガル・プリヤン村、ジャンビタン村には外からの援助がほとんど入っていない様子でした。村人は倒壊した家の脇にコメの袋やありあわせのプラスチックをつなぎ合わせた自前のテントをつくり、そこで寝起きしています。幹線道路沿いの広場には、国軍や政党が設置した立派な避難民テントがあります。そこは日中訪れたのですが、ガランとしてほとんど利用されていないという状況でした。
 これには理由があります。住民が自分の家から離れたくないという思いが強くあるからです。地震で壊れたものもたくさんありますが、まだつかえるものもあり、それらを守るため、倒壊した家の脇でテント生活をしているのです。夜は物取りが外から侵入するのを恐れ、男性が交代で寝ずの番をしているそうです。
 現地で支援活動をしている団体を2つ訪れました、リベラル・イスラームと言われるLKIS(イスラーム社会研究機関)とキリスト教系大学ドゥタ・ワチャナ・クリスチャン大学です。LKISは援助の届きにくい地域を中心に10カ所のポスコを設置し、そこから援助物資を配給しているそうです。学生のボランティアが集まり、このなかには日本人留学生もいるそうです。また、ここは被災地の状況を毎日ホームページにアップしています。
 UKDSは学長みずからが指揮をとって、教員・学生が一丸となって支援活動をおこなっているという印象を受けました。教会や海外の教育機関から寄付が寄せられ、テント、食糧をはじめ日常必需品を10台の車を利用して配布しています。配給物資は配布地域ごとにきちんと整理されていました。また、多くの学生ボランティアが各地をまわり、物資の配給状況のモニタリングをしているそうです。
 全体的に言えることは、多くの援助団体、グループが寄付を募り、物資の配給をしていますが、それでも援助が十分に行き届いていない地域がまだたくさんあるということです。
 また被災状況がひどい地域は一様に経済的貧困地域で、多くの住民は日雇い農業労働者か出稼ぎ、カキリマといった職業です。家の再建は、地域住民総出のゴトン・ロヨン(相互扶助)でおこなうことになるだろうと、わたしが話した村の住民は語っていました。家の再建期間、現金収入が途絶えてしまうことが彼らの悩みの種です。政府は1軒あたり3000万ルピア補助すると言っているそうですが、政府に対する住民の期待は相当低いです。被災者の声を要約すると、とりあえずは食糧・生活必需品の援助がほしいが、将来的には建設資材・道具の支援があればうれしいということです。
 日本からの寄付金の規模によっては学校、宗教施設などの公共施設の再建支援もしてはという声もあります。

(報告:津留歴子)


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