更新情報
NINDJA's Update
ニュースレター
NINDJA's Newsletter
ショップ
Warung NINDJA
BAHASA INDONESIA
NINDJA's Indonesian Site
NINDJAの活動
その他人道支援
検索
Follow NINDJA's Twitter
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
その他人道支援へのご協力のお願い
 ロンボク島(2018年7月)、中スラウェシ(2018年7月)と、インドネシアでは多くの死者・行方不明者をともなう地震が多数発生しています。NINDJAは、これまで現地と培ってきた草の根のネットワークを活かし、自然災害に対して緊急に対応できるようカンパを募っています。今後ともご支援いただけると幸いです。

Warung NINDJAからご支援いただけます
投稿者: NINDJA 投稿日時: 2006-6-7 19:44:00 (2493 ヒット)

 ジョグジャカルタ留学中の間瀬朋子から、以下のような報告が入りました。間瀬は、これまで、カキリマ(屋台)やジャムー(伝統生薬)売りたちと交流をつづけており、地震直後から、地元のNGOと協力して、支援物資の配給をおこなっています。

■ 6月7日の報告
 地震が起こってから今日までに、バントゥル県(Jl.Imogiriの各地、ジュティス郡、セウォン郡、プレレット郡)、グヌン・キドゥル県(プルウォサリ郡、ウォノサリ郡)、クラテン県(ウェディ郡、ガンティワルノ郡、バヤット郡)の村々を歩いてきました。今日は、バントゥル県プレレット郡ウォノレレ村プロソ地区にある、ひとつのRTに物資支援。わたしの印象では、救援物資はほんの一部のアクセスしにくい場所をのぞき、かなり行き届いていると思います。ただ、たとえばドゥスンやクルラハン(集落)など大きなまとまりに物資が届いた場合、しばしば分配の問題が生じているよう。ポンドック・プサントレンに荷物が山積みになっていても、キアイ(イスラーム指導者)がそれを分配しようとしないというケースもあります。モノは運んでも、分配の公平にまで口を出す(住民がモノを分けるプロセスまで見届ける)NGOは少ないのが現状。
 ジョグジャ市内コタグデ地区(市内でもっとも大きな被害地のひとつ)にあるジャムー売りが集まる地域に支援できないか、調査中です。先日スンバコ(基本物資)を運んだクラテン県バヤット郡クラキタン村ブラ地区はエス・プタル売りたちの集まるところ。グヌン・キドゥル県ウォノサリ郡・パトゥック郡にはアンクリンガン売りが多いよう。アンクリンガン売りがまた商売できるように、ロンボン(移動屋台)を支給する援助の形、とれますよね。それではバヤットのエス・プタル売りを支援するにはどうしたらいいでしょうか? 彼らは主にジャカルタに出稼ぎしていて、地震で直接的に商売道具を失ったわけではありません。このような場合、村にある家を失ったアイスクリーム売りを「間接的に」助ける(たとえば、子どもの学費を肩代わりしたり、地域に中長期的に役立つものを贈ったりする)形は許されますか。NINDJAの知恵と経験を教えてください。
 どこにどのような形でNINDJAからの支援を届けるか、もう少し考えながら、明日も物資支援に出かけます。倒壊家屋があるものの、援助の届きにくい、クラテン郡トゥルチュック郡やカランドウォ郡あたりをみてくる予定。

■ NINDJAから返事
 アチェについて、わたしたちが悩んだこと。最初、漁民のほとんどから、家か漁船を支援してほしいと頼まれたの。安〜い家や漁船で1人あたり15万円ぐらいと考えると、その時点で集まっていたカンパ400万円では、26人しか支援できないことになってしまう。その場合、ではどの村を選択するのか、もしくは多くの村を支援する場合、では誰を選択するのか、ということで頭を抱えたわけです。選択にもれる人が、そんな支援に理解してくれるわけはなく、半月ぐらい、あちらこちらのキャンプを歩いて、見つけたのが30万ルピア程度の伝統的漁具でした。そのあとは漁民以外でも、1人30万ルピアを目安に(つまり、支援に格差が出ないよう)仕事の道具を支援してきました。
 間瀬さんがロンボンの支給をしたいと考えておられる場合、仮に100万円のカンパで何人を対象にできるのか。たとえば2万円と見積もって50人支援したら、アンクリンガン売り全般(ロンボンが壊れた人)にいきわたるのか。アンクリンガン売り以外の人と摩擦が起きないのか。そこを解決できれば、アンクリンガン売りへの支援について、まったく問題はないと思います。
 エス・プタル売りについて、子どもの学費というのは、もしかしたら難しいかもしれません。現金で渡した場合、学費としてつかわれないかもしれないし、なにより1人あたりの額があまりに少ないということになる可能性があるので。むしろ、地域に中長期的に役立つものを贈るというほうが、いいように思います。たとえばアチェでは、仮設の小学校(教室×3、教員室、机・イス・黒板つき、約40万円)やバライ・プンガジアン(約15万円)を建てたり、簡易水道(約15万円)を敷設したりしました。


投稿者: NINDJA 投稿日時: 2006-6-4 19:26:00 (2320 ヒット)

 NINDJAのメンバーで、スラバヤのオルタ・トレード・インドネシア(ATINA)に勤務している津留歴子が、親会社のオルタ・トレード・ジャパン(ATJ)やATINAとしての支援活動の可能性を調査しに、被災地入りをしました。その報告を送らせていただきます。なおNINDJAは、ATINAもしくはジョグジャカルタ留学中のメンバーである間瀬朋子と協力して、とくにカキリマ(屋台)やジャムゥ(伝統生薬)売りへの支援をできないか、可能性を探っています。詳細が決まり次第、またご報告させていただきます。

■ ジャワ中部地震被害視察報告
 ATINAでは去る5月27日のジャワ中部地震の被害状況、救援活動の様子を実際目でたしかめることを目的に、5月31日、 6月1日の2日にわたり、ジョクジャカルタおよび周辺地域をまわりました。まわったと言っても正味2日の限られた時間、さらに一部交通渋滞の激しい地域もあり、わたしたちが訪れた地域は全体のごくごく一部の限られた地域にすぎません。しかし、わたしたちが訪れた地域の人びとは満足な支援も受けられず、明日は食べていけるかどうかという不安を抱えながらの毎日を送っている人びとでした。
 ATINAでは、工場勤務の女性ババール・エカさんの家が地震の被害を受けたということで、まずはエカさんとともに彼女の実家があるクラテン県バヤット郡ンゲプリガン村を訪れました。彼女の家はほぼ全壊、周辺の家屋も軒並み倒壊していました。外壁は保たれている家も、内部は天井が落ち、壁が崩れめちゃくちゃに壊れている家が多数あります。集落長のデータによると、ンゲプリガン村の被害は、死者1名(生後6カ月の赤ん坊)、重傷50人、全壊家屋351、軽度損壊家屋250ということでした。この村には、10世帯あたり1つのテントがインドネシア赤十字から配給されていました。しかし、このテントの大きさは子ども10人を収容するキャパシティしかありません。食糧配給は郡事務所から地震後1回あったということですが、その量は村人全員が満足に食べられる量ではなかったと言っていました。ここの村の男性はほとんど出稼ぎ労働者で、ジョクジャカルタ市内、セマラン、スラバヤ、ジャカルタといった地域に分散しており、今回の地震で村に戻っている男性もいました。エカさんのお父さんも普段は出稼ぎで自宅には母親と妹、祖父が暮らしています。村の女性の多くはバティックの手染めで生計を立てています。
 死者の数がもっとも多かったバントゥル県を貫く幹線道路沿いは多くのポスコ(救援事務所)があり、援助の車や見学者(?)の車でひどい交通渋滞でした。ここに入り込んだため、この地域からの脱出が難しく、結局4時間以上、交通渋滞にはまってしまいました。しかし、バントゥル県でも幹線道路からはずれた地域の村々では援助が十分に行き届いてない地域もまだかなりあるという印象です。
 わたしたちが訪れたバングン・タパン郡テガル・プリヤン村、ジャンビタン村には外からの援助がほとんど入っていない様子でした。村人は倒壊した家の脇にコメの袋やありあわせのプラスチックをつなぎ合わせた自前のテントをつくり、そこで寝起きしています。幹線道路沿いの広場には、国軍や政党が設置した立派な避難民テントがあります。そこは日中訪れたのですが、ガランとしてほとんど利用されていないという状況でした。
 これには理由があります。住民が自分の家から離れたくないという思いが強くあるからです。地震で壊れたものもたくさんありますが、まだつかえるものもあり、それらを守るため、倒壊した家の脇でテント生活をしているのです。夜は物取りが外から侵入するのを恐れ、男性が交代で寝ずの番をしているそうです。
 現地で支援活動をしている団体を2つ訪れました、リベラル・イスラームと言われるLKIS(イスラーム社会研究機関)とキリスト教系大学ドゥタ・ワチャナ・クリスチャン大学です。LKISは援助の届きにくい地域を中心に10カ所のポスコを設置し、そこから援助物資を配給しているそうです。学生のボランティアが集まり、このなかには日本人留学生もいるそうです。また、ここは被災地の状況を毎日ホームページにアップしています。
 UKDSは学長みずからが指揮をとって、教員・学生が一丸となって支援活動をおこなっているという印象を受けました。教会や海外の教育機関から寄付が寄せられ、テント、食糧をはじめ日常必需品を10台の車を利用して配布しています。配給物資は配布地域ごとにきちんと整理されていました。また、多くの学生ボランティアが各地をまわり、物資の配給状況のモニタリングをしているそうです。
 全体的に言えることは、多くの援助団体、グループが寄付を募り、物資の配給をしていますが、それでも援助が十分に行き届いていない地域がまだたくさんあるということです。
 また被災状況がひどい地域は一様に経済的貧困地域で、多くの住民は日雇い農業労働者か出稼ぎ、カキリマといった職業です。家の再建は、地域住民総出のゴトン・ロヨン(相互扶助)でおこなうことになるだろうと、わたしが話した村の住民は語っていました。家の再建期間、現金収入が途絶えてしまうことが彼らの悩みの種です。政府は1軒あたり3000万ルピア補助すると言っているそうですが、政府に対する住民の期待は相当低いです。被災者の声を要約すると、とりあえずは食糧・生活必需品の援助がほしいが、将来的には建設資材・道具の支援があればうれしいということです。
 日本からの寄付金の規模によっては学校、宗教施設などの公共施設の再建支援もしてはという声もあります。

(報告:津留歴子)


« 1 ... 7 8 9 (10)