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元「慰安婦」 : ラシエムさんへの支援
投稿者: NINDJA 投稿日時: 2007-12-24 13:12:35 (3863 ヒット)

 みなさまから寄せられたカンパから50万ルピア(6250円)を、頭皮のヘルペスにかかっているラシエムさんに支援しました。以下、マルディエムさんの自伝を書いたエカ・ヒンドラティさんからのメールを翻訳したものです。

 ラシエムさんは1943年、17歳のときに「慰安婦」にさせられた。当時、彼女はジョグジャカルタ出身の男性と結婚し、まだ小さな2人の子どもをもうけていた。
 夫が働かなかったため、ラシエムさんは家族を養うため働くことを決意した。ある日、ひとりの女性から仕事を紹介された。長く考えることなく、彼女はその仕事を引き受けた。遠く南ボルネオまで行き、ジョグジャカルタの家族をおいていかなくてはならなかった。
 ラシエムさんは、スラバヤから船に乗ってカリマンタンに向かった。バンジャルマシン行きの船に乗る前、彼女はマドゥラ出身のひとりの女性と出会う。この女性は、ラシエムさんがすでに死亡した自分の子どもとそっくりだったため、ラシエムさんによくしてくれた。この女性は、ラシエムさんに悪いことがあるのではないか、日本からひどい待遇を受けるのではないかと推測する。南カリマンタンに着く前に飲むようにと、この女性はラシエムさんに伝統的な薬のようなものを与えた。
 南カリマンタンのタラワンに到着し、日本の軍と市民の性的欲求を満たすために働かなくてはならないと知り、ラシエムさんは衝撃を受け、絶望した。しかし、ラシエムさんが客に奉仕しようとするたび、突然、足から胸にかけて斑点ができ、汚い膿を出す。当然、ラシエムさんに奉仕されたいと思う客はなかった。奇妙なことに、チカダ(慰安所所長)がラシエムさんに休息させると、治療しなくても斑点は自然に治ってしまうのである。この事件は何度もつづいた。船に乗る前に出会った女性の薬が、ラシエムさんを救ったようだった。
 ラシエムさんは、ほとんど客に奉仕しなかった。そのため、食料や洋服を買うおカネもまったくなかった。ラシエムさんの状況をみたマルディエムさんとリブットさんは、ラシエムさんがおカネを得られるよう、彼女たちの洗濯婦にした。
 45年の日本敗戦後、ラシエムさんはバンジャルマシンで元兵補と結婚し、ジャワに戻った。しばらくして、夫は中カリマンタンのパランカラヤに戻り、別の女性と結婚した。
 現在ラシエムさんは、元兵補だった夫とのあいだに生れた子どもひとりと暮らしている。最近、頭皮のヘルペスにかかった。ヘルペスは、すでに目の神経を侵しており、治療を受けている最中である。

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