本当は看護師になりたい!

投稿日時 2007-6-2 12:40:00 | トピック: 孤児

 NINDJAが奨学金を供与している子どもたちの紹介です。第一弾は、北アチェ県クタ・マクムル郡アル・ランベ村のユスニアルです(写真一番左)。

 色白でゆっくり歩く。ときおり、恥ずかしそうに微笑む。それがユスニアルだ。クタ・マクムル郡アル・ランベ村の彼女は、現在高校2年生になったばかりである。一人っ子の彼女は、2歳のときに父親を失ってから、母親と2人で暮らしてきた。「治安撹乱分子(GPK)」掃討作戦によって殺害された父親の顔は覚えていない。
 父親は、自由アチェ運動(GAM)に関与していると非難されて、治安部隊に逮捕・連行された。現在まで、その行方は不明である。生きているのか、死んでいるのか、それすらわからない。
 「生きているのか、死んでいるのか。もしまだ生きているのなら、どこにいるのか。もし死んでいるのなら、どこに埋められているのか」
母親とともにユスニアルは語る。
 この家族の不安やトラウマは、父親の連行後も終わらなかった。1998年、紛争が再び激化したとき、森の端にある村では、ほとんど毎日、GAMメンバーを捜索する作戦が展開された。治安部隊は日々、村の人びとに答えるのが困難な質問を投げかける。人びとは、暴力や逮捕を避けるため、賢く振舞わなくてはならなかった。
 それだけではない。まだ若く、かわいいユスニアルのところには、国軍兵士がしばしばやって来たからである。国軍兵士と関係をもった村の女の子たちは、最後にはセックス・ワーカーとさせられる。この問題を放置していれば、取り返しのつかないことになるかもしれない。
 これは、当時、非常に難しい問題だった。村で女の子をもつ家族は、女の子をプサントレン(イスラーム寄宿塾)や国軍の活動範囲から離れたところに住む親戚の家に避難させた。すぐに対処しなければ、子どもが国軍兵士とつきあうのを禁じたとして、親がGAMだと非難され、逮捕されることが少なくなかったからである。
 ユスニアルの母親は頭を悩ませた。ユスニアルを見に、毎日、国軍兵士がやってくる。背が高いユスニアルは、中学生(当時)には見えない。問題を避けるため、母親はユスニアルが外出するのを禁じた。軍事作戦がおこなわれているあいだ、学校に行くことも禁じられた。
 やっと、アチェに平和が訪れた。学校に行くことも、ひとりで家にいることも、もはや怖くない。ユスニアルは、あと1年で高校を卒業する。小学校4年生のときから、NINDJAからの奨学金を受けてきた。中学校でも、高校でも、ユスニアルはさまざまな活動に参加してきた。学校でイベントがあるときには、踊り手に選ばれることもある。
 「奨学金には、とても感謝しています。そのために勉強する気持ちになりました」
ユスニアルはゆっくり話した。
 彼女は、看護師になりたいという夢をもっていた。しかし、経済的な理由で、その夢を諦めなくてはならなかった。看護学校に通うために、学費、寮費、実験費と用意しなくてはならない。農園労働者として働く母親には、とても払える額ではない。
 しかし夢をかなえられなくても、ユスニアルは挫けていない。母親を助ける何かになる道はあるはずだから。
 「師範学校に行きたいの。お母さんを助けられるように。奨学金がありますように」

(報告:イムラン・MA)


NINDJAにて更に多くのニュース記事をよむことができます
http://www.nindja.com

このニュース記事が掲載されているURL:
http://www.nindja.com/article.php?storyid=16