クアラ村の紛争犠牲者

投稿日時 2006-3-15 5:42:00 | トピック: 地震・津波被災者

 14日は朝から北アチェ県最東のパントン・ラブに建築資材の買い付けに行きました。スヌドン郡マタン・ラダ村のバライ・プンガジアン用の資材を買い付け、村の人びとに運んでもらったあと、東アチェ県シンパン・ウリム郡クアラ村の仮設学校建設用の木材を買い付けに、製材所へ向かいました。
 バンダ・アチェの住宅建設用資材も、ここから運ばれるそうで、とにかく製材所は繁盛しています。アチェの住宅建設のため170万tの木材が必要だといわれています。インドネシア環境フォーラム(WALHI)は、アチェでの森林事業権(HPH)と産業造林事業権(HPH-TI)の申請者の多くが、環境規則に違反し、自身の義務を果たそうとしていないと、違法伐採の危険性を指摘しています。住宅建設で木材が必要だという現実と同時に、このチャンスを利用して違法伐採する企業の存在もまた現実であり、どこが妥協点になりうるのか考えてしまいます。
 さて木材がすべてそろい、運ばれてくるのを、クアラ村で待っているあいだ、村の人びととさまざまな話をしました。GAMが海外に逃亡する際の基地とみなされたクアラ村での軍事作戦は、想像以上に深刻だったようです。
 03年5月19日に軍事戒厳令が布かれて3日後、川を小舟で上っていたある家族が、「武装集団」に撃たれました。当時4歳半だった子ども、母親に弾があたりました。2人とも命はとりとめましたが、父親は2人の治療のために1500万ルピア払わなくてはなりませんでした。家も牛もヤギも、財産すべて売ったといいます。
 2人が治療を受けているとき、国軍兵士が、発砲者についての情報をとりにきました。この国軍兵士は、父親に銃口を向け、「お前はGAMだろう」と言ったうえで、「誰が発砲したのか」と尋ねました。父親は家族の無事を考えて、「GAMでも国軍でもなかった」と答えるしかありませんでした。本当は、200mしか離れていなかったし、武装集団の船にはインドネシア国旗が掲げられていたため明らかだったのですが。
 父親は言います。「国軍兵士がGAMを捕まえたかったら、実際は簡単だ。住民と交流し、人心をつかめばいい。武器を突きつけるなんて、やりかたとしてはもっともバカげている」と。そして、クアラ村での軍事作戦について、けっして忘れることができないとも。
 和平合意が結ばれたといっても、本当につづくのかどうか、以前のような状況に再びならないか、人びとはまだ不安を抱えています。

(報告:佐伯奈津子)


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