マタン・スリメン集落の子どもたちに制服を

投稿日時 2013-8-23 23:06:00 | トピック: 地震・津波被災者

■ マタン・スリメン集落とは
 マラッカ海峡沿いの北アチェ県サムドゥラ郡クタ・クルン村マタン・スリメン集落は、2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波に襲われた地域です。家は1軒も残らず、女性15人、子ども11人が死亡しました。女性たちは、子どもを探して逃げ遅れたり、またヤシの木に登ることができなかったりして、波に呑まれていったのでした。
 ここまでは、津波被災地となったどの村でも見られた光景です。違っていたのは、この集落が、ハンセン病患者・回復者のコロニーだったことです。逃げることを諦めた重度のハンセン病患者6人は、コーランを唱えながら、最期のときを迎えたといいます。
 生き残った28世帯89人は、同じサムドゥラ郡の津波被災者たちとともに、グドン(郡役場所在地)へと避難しました。グドンでは、大きなテントが並び、それぞれ村ごとに共同生活が営まれていました。幹線道路沿いに位置することから援助物資も入りやすく、テントは一列、しかも裏が水田で風通しも悪くありません。わたしが訪れた北アチェ県の避難民キャンプのなかで、もっとも人びとの表情の明るいところでした。
 しかし、集落の人びとにとっては、そうではありませんでした。「カンプン・レプラ(ハンセン病の集落)」に対して、ほかの被災者は冷たく、集落の人びとは共同の台所への立ち入りを禁止されました。集落の人びとがありつけるのは、骨だけになった魚、実のなくなった汁だったそうです。集落の人びとは、差別に耐えられなくなり、約2カ月半後、観光局所有の掘っ立て小屋に移りました。女性たちは小屋に、男性たちは小屋の外にビニールシートで天井だけをつくり、避難生活をつづけました。
 サムドゥラ郡の被災者が、政府の建てた長屋式仮設住宅に入ったり、自分で元の村に建て直した家に戻ったりしているころ、集落の人びとは行き場もなく、この小屋で暮らしていました。人びとは、せめて海から500m離れたところに住みたいと希望していたが、彼らを受け入れる場はなく、けっきょく元の集落に戻っていきました。

■ 子どもたちへの支援
 「隔離された」マタン・スリメン集落の人びとが職を得ることは難しく、多くはハンセン病患者への政府(社会局)からの援助に頼ったり、ロスマウェ市に物乞いに行ったりして、生計を立てています。NINDJAは、津波被災者への支援活動を終了したのちも、このマタン・スリメン集落との交流を深めてきました。とくに集落の子どものために、バライ・プンガジアン(コーラン朗読の練習をする場)や遊び場(2007年8月15日の報告)を建設したりしています。
 2013年2月に集落を訪れた際、女性たちから子どもの制服を支援して欲しいという要請を受けました。カンパや、2013年9月に実施するツアー収益などから、ようやく制服を購入する資金のめどがたったため、8月23日、北スマトラ州メダンで買い付けを実施しました。

【子どもの数】
小学生:男9人、女4人
中学生:男2人、女2人
高校生:男2人、女2人 計21人
【支出】
制服:200万1000ルピア
靴・靴下:73万5000ルピア 計274万6000ルピア

(報告:佐伯奈津子)


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